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ここに今同じ年齢の男女が十人ずついたとします。この男女に魅力の点数をつけ、上から順に並べたとします。この場合、どのようなカップルができると思いますか? 恐らくみなさんは一番目と一番目同士、二番目と二番目同士、三番目と三番目同士のカップルができると思うことでしょう。しかし、現実にはそんなことは絶対にありません。なぜなら魅力の一番高い男性が魅力の高い3・4人の女性を一人で確保してしまうからです。ですからその後に残った女性としか二番目以降の男性は付き合うことができません。 そして男性の最後のほうの順位の人は女性の誰とも付き合うこともできなくなります。これが現実です。 では一番目の 女性と一番目の男性が付き合えるかというとそうでもありません。なぜなら男性は少しでも自分に自信のある人はこぞって一番目の女性にアタックするからです。そのおかげで一番目の女性の市場価値は上がり、一番目の女性は一番目の男性とでは、まだ不服を訴えるようになります。そして結局この女性はさらに年上の男性へと選ぶ範囲を広げていき、その中のさらに魅力のある男性と付き合おうとするわけです。 つまりここにいる十人の男性は実際は一番目の女性とは誰も付き合えないのです。 PR |
女性のルックスが美しければ心理的にどのような影響を及ぼすかを調査した学者たちが多数います。 ・一緒にいる女性の魅力でその男性の能力が判断される。(魅力的な女性といると成功者と思われ、逆に魅力的でない女性といると無能とみなされる)<サイガルとランディー> ・ 魅力的な人は好感をもたれ、魅力にとぼしい人は感じが悪いとされる。<ヘンス> ・ 魅力的な人は善良とみなされ、否定的な行動も黙認される(グラマー効果という)<バシーリ> ・ 魅力的な人には人はよりオープンに接する。(ハロー効果という) ・ 魅力的な女性は同性との付き合いのなかで優位に立てる。美は他人に対する権力になる。<ヴァイスフェルト> このように美しさはその女性の内面(性格)をも良く見せてしまうことが解ります。つまり男性は「美しい女性=性格がいい、感じがいい」と錯覚させられるのです。 |
例えば一人の女性がいたとします。彼女は前から憧れていた大好きな彼に、自分から言い寄っていき、なんと付き合えることになりました。それはもうハッピーで仕方ありません。大好きなその彼のためなら彼女は何でもできます。 ところがこの彼女、以前に付き合っていた男性はあまりぱっとした人はいませんでした。だから今までの恋愛 は、ほとんどが男性の方から「つき合って欲しい」と言われて成り行きで付き合っていたという状況でした。だから彼女はデートの度に、自分の要求を通し、以前付き合った男性には「わがままで性格がきつい」とよく言われていたものでした。 ところが今度の彼には彼女は何でもしてあげるし、わがままも決して言いません。おかげで今の彼からは「君は思いやりがあって、よく気が利くね」といつも絶賛されます。 このように、人間は状況に応じて、相手に合わせ るかそうでないかを判断し、ころころと行動様式を変えていきます。だから、評価される自分の性格も相手によってころころ変わるのです。人間はみんな、性格が良くなったり悪くなったり相手によって変わるわけです。 だから実際は男女のカップル選びで「性格」が「最も重要視されるもの」であるはずがありません。 男性がいくら魅力があり、人並みはずれた経済力があったとしても、付き合う女性にしてみれば、その男性をコントロールできなければその経済力は自分のものにはなりません。 もし、その男性が、途中で自分を無残に捨てたり子供に危害を加えたりするようではいくら経済力があっても一緒に暮らすことはそれ以上のリスクを背負います。 このリスクを回避するために女性にとってはその男性をコントロールできるかどうかが非常に重要であることがわかります。ここに女性が男性の性格を重視する必要性があるのです。 性格が明るいとか暗いということは性格選びで大した意味がありません。 重要なことは、自分の性格で、相手がコントロールできる性格の持ち主かということであり、女性はコントロールできそうと感じる相手の性格を「性格がいい」と感じるのです。だから、相手がいくら大金持ちでも性格が悪いと、その人をコントロールできないから一緒になろうという気が起こらなくなるわけです。 したがって「コントロール可能」と「経済力がある」の二つを備えた男性を女性は「性格がいい」と感じるはずで、それは男性がルックスのいい女性を「性格がいい」と感じることとほぼ同様です。性格判断は 実はこのようにしてなされるものなのです。 |
セクハラ行動はもともと生殖活動における前段階の男女の駆け引きであり、そういう意味ではセクハラをしなければ生殖活動は成立しません。 最もひどいセクハラはいわゆる強姦で、とにかく生殖活動に起因するもので相手が嫌がってしまえばどんな行為もセクハラになります。人間を含めて、動物のオスの行動の共通点は「縄張りを張る」ということです。犬科 の動物はおしっこによるマーキングをすることはご存じでしょうが、このようにしてオスは自分の縄張りを作ります。そして、その縄張りにメスが侵入してくることが生殖活動を成功するためのきっかけとなります。 したがってオスはよりメスがきそうなところに広い縄張りを張ろうとします。そこで縄張り争いがオスの間で繰り広げられるのです。自分の縄張りにオスが侵入してくれば、命をかけてこれを撃退しようとするのです。 これは当然ながら人間も同じです。人間の男性の場合、縄張りは横に広げるのではなく縦に広げます。これがいわゆる地位というものです。 地位が高ければ高いほど、付き合える女性のレベルは高くなり、よくモテ、生殖活動が有利になることは言うまでもありません。だからこそ男性は地位を上げようと命をかけるのです。 さて、そうは言っても人間でも物理的な縄張りは横への広さであることに変わりはありません。つまりひとりひとりにプライベートな縄張りが存在し、偶然ではなく、その縄張りに他人が入ってくるとそれは男性なら縄張り荒らしになり女性では生殖活動可という判断がなされます。 日本人の縄張りは諸外国の人たちと比べ、この縄張りが広いと言われており、女性が男性の縄張り内にうっかり入ってしまうと「気がある」と勘違いされることが多いのです。理想を言えば、男性たるもの広い縄張りを張って、そこに女性から入ってくるように仕向けるのが理想と言えますが、実際男性のほとんどがそうはせず、自分から女性に近づき、自分の縄張り内に女性を入れようとします。 例をあげると、 1) 触る 2) 近づく 3) 話し掛ける 4) 意地悪をする 1) はより直接的で4)になるほどより婉曲的です。4)は気を引くために幼い男の子がよくやることですね。もちろん、1)に近づくほど縄張りに引き入れようという意志が強く、直接的であることがわかります。でも、これがどうして「縄張りに引き入れること」になるのかというと、もし、男性がこのようなことをして、女性が拒否しない場合、それは性行動をエスカレートさせてもいいというサインになるからです。 例えば、胸やお尻をさわっても女性が抵抗しなければ、すなわち恋人レベルの親密度OK というサインになり、これが男性の縄張りに入った状態です。合同コンパなどで女性が酔っぱらい、警戒心や抑制がとれて男性に よりかかるシーンがありますが、これはまさに女性から男性の縄張りに入っていく生殖行動だったのです。 しかし、これらのセクハラ行為も、女性側が男性の縄張りに入り込む意志がある場合は全くセクハラにはなりません。だから、女性が憧れているようなモテる男性がしても、全く問題にされないわけです。 反対に嫌いな男性に対しては、近づいてこられたり、話し掛けられるだけで立派なセクハラになってしまいます。 |
セックスは男女平等ではありません。セックスそのものにかかるコストには大きな男女差があります。避妊具が発達した現在、セックス=子供ができることではありません。しかし、人間の潜在意識の根底にはセックス=子供ができることという認識があり、これが性に対する考え方に大きな男女差を生みます。 まず、女性は子供を身ごもってから産むまで、お腹の中で育てますが、そのために費やす労力はかなりのものです。産む瞬間の苦痛もあります。さらに、産んでからはその子供を育てるために莫大なコストがかかります。万が一、途中で中絶するとしても、母体にかかる負担は大きく、女性にとってセックスとはコストがかかるものなのです。 この事実は男性がどんなに努力しようとも変えることはできません。一方男性はというと、セックスにかかるコストはほとんど0 に近く、相手に子供ができても育てない場合は一切コストがかかりません。つまり、もともと二人の合意で行われるセックスであっても、それにかかるコストは平等ではなく、避妊具の発達で妊娠する可能性が低くなったと言えども、圧倒的に女性が不利なのです。 このコスト差があるためにセックスは売ることができます。女性の売春が多いのはそのためです。もちろん男性の魅力がとても高く、このコスト差以上に男性のセックス価値が高い場合は男性売春も可能です。 |
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プロフィール
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Dr.イトゥ
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性別:
男性
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1980/02/02
自己紹介:
大よそ間違いのない文献から作成したレポートです。非常に興味深い内容と自負しております。
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